紋とは

紋とは家紋を含む様々な種類の紋の総称です。紋は以下のように分類されます。

【家紋】(かもん)
読んで字のごとく、その家を表すマークです。一家に一個という決まりはなく複数個を持つ家もありました。現代ではきものや墓石への使用が主な用途ですが、昔は調度品や牛車(ぎっしゃ)、建具、様々な小物に愛用されていました。ただ少し前の戦国ブーム後、家紋が見直されTシャツや雑貨にデザインされることも多く、見る機会が格段に増えたように感じます。

【定紋(じょうもん)・替え紋】
家紋は一姓一家紋、一家一家紋というのが原則でしたが本家筋から賜ったり、敵方から奪い取ったり、妻の実家の紋を用いたりして一家でいくつもの持つようになり、その中から名字を代表する家紋を決めておく必要がありました。 その代表された紋を「定紋」、それ以外の紋を「替え紋」と呼びます。 「定紋」は「表紋」「本紋」とも呼ばれ徳川時代には正式に幕府に届け出た紋で、その家の格式を表し公式の行事・儀式には必ずこれを用いました。 非公式の場合に用いられたのが「替え紋」で、これは「裏紋」「別紋」「控え紋」とも呼ばれます。

【賜与(しよ)紋】
皇室や公家など格式の高いものから賜った紋のことです。当然その紋は権威のあるもので、これを受けた者は名誉を誇り権勢を高めました。 武家における賜紋は皇室や公家の場合より多く、権威ある将軍・大名より家紋を賜ることは一家の光栄とみなし、また与える方は忠誠を尽くさせる一助としました。

【譲与(じょうよ)紋】
「賜与紋」のような功労に対するものではなく、家名相続や結婚関係に基づいたものです。

【略奪紋】
戦によって敵の紋章を奪い、自家の家紋としたものです。この例で有名なのが竜造寺氏が大友氏の軍勢に夜討ちをかけて破り杏葉の幕紋を奪って、元の剣菱の紋を改めてこの杏葉紋にしたというものです。当時、杏葉紋は九州の諸武士の憧れの紋でした。

【交換紋】
互いに家紋を交換して用いたもので、民間では多く見られました。他に他家の紋、特に権威のある紋を許可なく勝手に自家の紋として用いることで、徳川時代に多く見られました。

【洒落紋】
家の紋とは関係なくお洒落の為ために作られた紋です。

【新紋】
家紋は姓氏と異なり法令もなく、家紋の使用・制作に関しては自由です。従来の家の観念から開放された明治時代以降、新しい家紋が作られたりもしました。こうして作られた歴史の浅い家紋を「新紋」と呼びます。 現在紋クリエイター達が制作している紋もこれに当たります。ただネット公開用・展示用作品など個人や家に対して作られたものではない紋は正式には「家紋」ではなく「洒落紋」または「家紋風デザイン」になります。